鶴崎踊りの舞子はすごかった!?
引越しから少しずつ落ち着きを取り戻してきました。
といっても、室内はまだまだ散らかっていますが(^^ゞ
今日やっと
これからお世話になる地域の神社にごあいさつに伺えました
鶴崎支所の前にある鶴崎大神宮です
大分市と合併する前は「鶴崎市」という大きな都市だったからでしょうか
名前が大神宮という大きな扱いになっています。
鳥居が立派ですね!!
鳥居をくぐると中は意外とシンプルな感じで良いですね!!
隣がバスの駐車場、反対側も支所の駐車場でかなり騒音がするかに見えますが
さすが神社でそういう世俗的な音を見事にシャットアウトしている感じです。
これからちょくちょくお参りさせていただくようになるでしょう。
ところで鶴崎に伝わる「鶴崎踊り」は
国の無形民族文化財の指定を受けていて400年以上の伝統を持っています。
時は永禄3年のころです(桶狭間の戦いの年!?)
なんでも酒色に溺れて政治を省みなかった豊後国の国主大友宗麟を忠臣戸次鑑連が諌めようとしたそうです。
しかし大友宗麟の勘気が強く容易に近づけなかったそうです。
やはり国を治める国主だけあってその迫力は相当のものだったことでしょう。
そこで忠臣戸次鑑連が大友宗麟を諌める機会を作るため京都から舞子を呼んで踊らせた踊りが鶴崎踊りの起源だそうです。
ここで「ん!?」と思ってしまうのです・・・
なぜ京都の舞子を踊らせただけで大友宗麟の気持ちをやわらげ諌めることができたのか・・・
酒色に溺れていたとするならば当然それまでにもたくさんの踊り子に舞を踊らせていたに違いないのです。
たくさんの舞を見てきたはずです。
もしその京都から呼んだ舞子(達?)の踊りを見て大友宗麟が心を和らげたのならば
その舞子(達?)の踊りはとてつもなく優雅で柔らかく固くなった心を和らげる大変優れた踊りだったということになります。
その身体感覚・身体的能力・動きはとんでもないレベルだったに違いないでしょう。
その姿は心と身体が一つになった雰囲気のにじみ出るものであったはずです。
おそらく現代に降り立って
舞台上に立てばそれだけで観る者の心を揺さぶるような感動を与えるに違いないはずです。
と、職業柄ついついそんなことを想像してしまうのです(^^ゞ
その舞子を呼んだ忠臣戸次鑑連もなかなかの人物だったと伺えますね~
一度、その舞子の踊りを見てみたいものです。
ところで・・・
今日はなんでこんなにアクセス数が多いの!?
ちょっと異常に多いんだけど(^^ゞ
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